2024.04.04

2024.3.12~ 名古屋建築見学

3月12日に名古屋建築見学に行ってきた。 今回の名古屋ゼミは、NAF(中部卒業設計展)への参加が主な目的であった。ぼくは、発表するわけではなく聞き手に回り、卒計の参考にしようとする算段だったので、発表者には、申し訳ないが、ほとんど旅行気分であった。 建築批評に移ろう。 名古屋では、妹島和代さん設計の豊田生涯学習センター谷口吉生さん設計の豊田市美術館、アントニン・レーモンドさん設計の南山大学、そして、今話題の山本理顕さん設計の名古屋造形大学、 最後に竹中工務店の名古屋支店を見学した。 今回の建築見学を通して、ぼくが実際の建築から強く感じたことは、建築における「おさまり」の重要性である。 まず、妹島和代さんの豊田生涯学習センターでは、建築の「おさまり」が建築の抽象度に大きく影響する事を実感した。妹島さんは、建築における形態・素材双方の抽象度が高い作風としてしられ、僕もそのように認識していた。しかし、実際に見学するとサッシ枠・エアコンの室外機の存在が大きく気になった。建築形態の抽象度が高いだけに、細部が気になってしまう。 豊田市美術館では、建築の「おさまり」の処理について考えされられた。豊田市美は、例えば、竪樋を2重壁として隠すなど、建築を成り立たせる裏方を過剰なまでに隠すことで、建築の抽象度をコントロールしていた。ぼくは、あるものを無いものとして、”あり得ない空間”を作るこのような手法について、素直に共感できなかった。”建築家の頑張り”が前面に出た空間だと感じた。 南山大学では、無垢の木を用いた型枠を打ちっぱなしの表現としていた。ぼくはこのような表現が個人的に好きで、これは、建築のディテールが建築の価値を上げる良い例だと思う。建築を成り立たせる要素を建築の表現まで昇華させる。これは、図面を書くだけの設計者にはできない事である。 名古屋造形大学では、ぼく自身、建築の抽象度のバランスがとても素晴らしいと感じた。僕自身の解釈として、建築の抽象度を極端に上げてしまうと建築空間を形作る建築以外の要素(設備機器・張り紙・人間…)がその建築の世界観を壊してしまうと感じている。建築とは、”作品”であり”道具”である。アートと違い作品の持つ世界観を作者が100%コントロールできないのである。つまり、完璧に制御された世界観は、建築にはもろ刃の剣となる。 うまくは言えないが、名古屋造形大学のような工房のような機能を持った建物においては、建築世界観を構成する要素が建築だけでなくむしろ例えば、設備機器などの極めて具体的な物に大きく作用されると思っている。そようなビルディングタイプにおいて、建築物の抽象度が極めて高いと、それは、建築以外の要素を無視する事になり、建築の世界観がうまく形作れない。 その点、名古屋造形大は、天井面はデッキプレートの表し、H型鋼の表し等建築の抽象度をうまくコントロールする事が出来ていたように感じる。 建築家の意図する世界観が設備機器などの建築以外の要素によって壊されていないと感じた。建築のディテールが持つ力と建築の具体性と抽象性こんなことを考えさせられた見学ツアーであった。

B3白瀧昌寛

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