2024.03.22

2024.3.22 野沢邸見学 

3/22に野沢正光氏の自邸である相模原の住宅の見学に行かせていただきました。ハウスメーカーの商品住宅が乱立する住宅街のなかで、ひときは異なる空気感を醸していました。全面道路からは、象徴的な中庭のセンダンの木が人々を迎えるように立っていました。建築の各部位のディティールはさることながら、既製品の工業製品を巧みに用いた設計は圧巻でした。見学の後半では、事前にリサーチした内容を野沢さんの奥様である富士子を交えながら議論をおこないました。私たちのリサーチによる解釈と、ずっと一緒に居られたからわかる富士子さんの解釈が混ざり合い、とても充実した討論会になりました。その後には自己紹介という名の富士子さんへの人生相談が始まりました。富士子さんの人間としての芯の太さに触れ、我々学生は学ぶことがたくさんありました。富士子さん、本当にありがとうございました。また、先日私が大学一年生だったときに野沢さんのシンポジウムをお聞きした際のメモが出てきました。今になって読み返してみると野沢さんが建築家として目指していたものの壮大さ、執念みたいなものを実感させられました。ソーラータウン府中を理解するまでは、野沢さんはただ環境を考えた建築を設計されているのだと思っていました。しかしそれは野沢さんが目指してした世界のほんの一部であったのだと気付かされました。ここからは私の解釈ですが、近年の住宅街は関係性を閉ざしたハウスメーカーの大量生産的注文住宅が大量に建てられています。その結果人々のコミュニティはなくなり、家に篭りやすい状況が生まれました。そこで、野沢さんはその関係性を取り戻すべくソーラータウン府中で、あの設計プロセスを選択されたのだと思います。まず、近隣との関係性をつくるために内外の境界である窓を開けられる住宅をつくろうと。そのためには窓を開けても心地よい空間になるように環境的な配慮を行おう。では、気軽に窓を開けられるように、植栽を用いて、プライバシーは確保しよう。そして、開けた窓から聞こえてくるピアノの音が聞こえてくるような、みんなが通れる路をつくろうと。ソーラタウン府中は建築家野沢正光が目指した世界の縮図なのではないかと感じました。建築の形態や取り組みからは見えにくいですが、目指していた世界の大きさ、実現するための執念、これが建築家なのかと感じさせられる貴重な経験になりました。    M1 滝内