先日、5月10日に修士論文の中間発表が行われました。田井幹夫研究室は4人のM2がいます。それぞれ特色のある研究テーマを掲げ、
たとえば、
1人の建築家を取り上げ建築手法を研究するもの
掛川の街へ注目し、実態の調査研究をするもの など内容は個性が出て多種多様です。
これまで培ってきた思考を研究内容のフィルターにかけ、抽出していくのです。
しかし自分よがりのフィルターになってはただのエッセイにしかならず、「論じる」ことの難しさを日々痛感します。
中間発表では、建築学科の教員全ての方がお見えになり、ポスターセッションでプレゼン、質疑となりました。(個人的にこのポスターセッションの仕組みが結構好きです。近くでみてもらえるので。)
環境や構造分野の先生方も面白がって見てくださったり、別の手法案を投げてくださったりと多方面からの意見がもらえる機会として良いチャンスでした。
私の研究はイマイチまだ定まっていないのですが(危機感満載)
建築に内在する「道空間」についての研究です。あやふやしてるくせに関連の本やら、空間やら見ているのはめちゃくちゃ楽しいものです。
というのも自分の頭の本棚に一切の蓄積がないからこそ、棚に内容が少しでも詰め込まれていく感じが好きなのだと思います。
活字読むのも苦手なくせに。
でも、小説やらエッセイやら歌詞やら筆者の巧みな言葉遣いや表現、文脈の流れなど人によって異なっているのを見るのがすごく好きです。人の思考が垣間見えるような感じ。
これって写真を撮った後のカメラロールの状態に似ている気がしません??
この前高知に遊びに行きました。関東の建築学生と建築を見にいったわけですけど、皆それぞれの視点で建築を見ているから面白い。自分とは全く異なるところを見ている場合もあり、撮った写真なんか見てみるとそこ見てるんや!と、ワクワクしましたね。
人間という一つのスコープ/フィルター?を与えた時、それぞれの視覚というレンズに映し出される自分の世界が広がっている。私の場合は今回雨樋ばかり見ていました。(そんなことをしていると、後でカメラロールを振り返ると欲しい写真が全然ない、、ってなってる。)
それは日常生活やら社会においても同じようなことが言えますよね、これ。どうでもいいのでスルーします。
何が言いたいかって、研究テーマも同じようなことで「自分の視点を持っている」ことに自分で面白がっていいのでは、ということです。
自分なりの興味に、自分なりのテーマ、自分なりの切り口がある。そのきっかけに出会うのは導き方が上手か、これまでの自分の本棚からうまく拾い上げることができるか、たまたま出会うとか?
私の研究のきっかけは原広司氏の「境界論」「有孔体の理論」あたり。興味ある人は是非とも本を読んで、お話ししましょ。
4人それぞれテーマは異なるものの、どれも建築、どれも空間への着目です。気づけば我々も6年の仲になりますからね、互いに切磋琢磨しながら自身の向かうべき方向へ進もうと思います。
論文をやっていると設計もやりたくなりますよね。片手間で絵を描いたり、コンペ出したり、創造することはやめずにクリエイティブな思考を止めてはならないかと思います。
直近に出したやつは負けました。悔しい。
タイラボ M2 有田晃己