2023.09.19

2023.09.11 京都ゼミ旅行1日目 京都国際会館

2023年度日本建築学会大会が京都大学にて行われた。コロナウィルスの影響により、今回は4年ぶりの現地開催で、私自身もリモート参加を除けば初めて学会の空気感を味わう機会にあった。田井幹夫研究室に現所属の学生を含め、一期生として卒業された先輩方も数名参加された。いくつか終始見させていただいた中で、今回は卒業生である池宮康清さんの修士論文の発表にて見学をさせていただいた感想を述べようと思う。

論文テーマの分類としては、建築意匠論・構成論である。私も学士論文や修士論文の制作の際、既往論文を参考にさせていただいた。小さなマス目に異なる抽出作業(類型化)を行なった図面で埋め尽くされ、何がなんだかわからない頭の痛くなるテーマであることは知っている。類型化(タイポロジー)というのは、“簡略”を示すのではなく“本質”であるため、そこに制作者の感情が発生しない、ほとんどは作業的な段階にあると思う。よって質疑では、その前段の方法論に集中する場合が多いことがわかった。方法論のフェーズにて誤りがなければ、論として“良い”という判断なのだろうか。6分間という短い発表時間からしても、通して理解することは非常に難しい。7個ほどの論文を批評しなければいけない可能性もある司会は、大変な立場であることがわかった。話が少しズレたが、その分野で発表をされた池宮さんのテーマは「日本伝統民家における〈公私の領域〉と〈柱・仕切り〉から見た境界性に関する研究」である。日本民家の特徴として、土間と玄関先、居間と座敷など同じレベルにあっても柱や仕切りがあることによって空間に差異(領域の変化)を生み出している。その小さな空間操作により、公と私の領域(行為)をもつくりだしているのではないかというのが池宮さんによる大まかな仮説である。分析では、柱・仕切りを記号化し境界のレベル(客間と寝室などの公私の差があるもの)を数値化、採点しようとするものである。初めて聞く方は、柱・仕切りの表記方法や点数付けの段階でよくわからなくなるだろう。私もまだよくわかっていない。質疑をされた教授からは、この論の立ち位置について指摘されていた。質疑応答も1人2分も無いほどのスピード感で終わってしまう。このような会が同時並行であらゆる分類で行われていることを想像すると、建築分野は広いなと改めて感じさせてくれる機会であった。

次に、建築批評を行う。

今回の京都ゼミ旅行は、学会大会の参加が主な目的であった。私は発表するわけではなく、聞き手にまわり修士論文の参考にしようという算段であるため、正直のところ発表者には悪いが旅行気分であった。当日の朝、秋口の涼しい風が私を京都へ送り出してくれたと思えば、盆地を舐めていた。スマホを片手に電光掲示板をみる観光客と同様に、熱気もその場に留まり続けている。集合場所であった地下鉄国際会館前から地上へ階段を登れば、大粒の雨が降っていた。1週間の旅の始まりとしては不運であったが、ざぁざぁ雨の跳ね返るアーケードの下からでも国際会館は凛として佇んでいるのがみえる。京都国際会館のコンペティションでは錚々たる建築家が審査に加わり、日本の伝統様式をモチーフとした非常に斬新かつ気品のある振る舞いに評価を受けたとされている。大谷幸夫氏は「比叡山の背景と古都京都の風情を損なわないよう、自然の佇まいに設計の枠組みを委ねた」と手記せれていたが、若干に私はハンス・ホラインの航空母艦都市が頭をよぎった。竣工から見ても60年代と重なりを持つが、自然との一対一の関係がそう感じさせたのか、あまりの巨大さからくるものだったのかわからない。少しずつ近づくと日本古来の建築手法を踏襲した、台形・逆台形の外郭線が浮き出てくる。ブルータリズムを感じさせる、ヒロイックなV字の柱や深い庇により建築の足元は暗く屋根面が強調されているようにもみえた。軒天もまるで木材を扱っているように、織り込むような施しが窺える。細部の繊細さには圧倒されたが、上層階の開口部は軍艦の船窓にしかみえず、規則性を持った配列による緊張感は全体におどろおどろしい空気感を纏わせていたのは残念だった。生憎、公開日ではなかったため内覧することはできなかったが、その日は多くの外国人がアネックスへと入っていく様子が見られ、今なお使われ続けていることを知ることができた。しかし、施設自体は厳格に管理され、用の無い人は閉め出されてしまう。その厳格さは建築の雰囲気に波及しているようにも感じ、市民が利用しやすい環境が生まれれば建築の見え方も変わってくるのだろうと思う。

「航空母艦都市」ハンス・ホライン (引用元:建築20世紀part2 6月臨時増刊 新建築社 p118)

 

田井幹夫研究室所属 M2 疋田大智