2024.08.05

空間性への希望

先日、インターンの休日に御手洗龍建築設計事務所設計の草加市立松原児童青少年交流センター ミラトンを見学しました。駅を出て、集合住宅群を抜けると、並んだヴォールト屋根が出迎えるように配置されていました。各ヴォールトごと用途が分けられながらも連続的に空間が繋がっていく様子は子供の多様な好奇心に寄り添い、訴えかけるようでした。ヴォールトの天井面にはザラザラとした仕上げ材が施されており、光が作り出す塵状の陰影はまるでル・コルビジェのロンシャンの礼拝堂のような美しさがありました。近年、建築の価値観も多様化し、ハードや作り方に着目されており、時代が培ってきた空間の美しさを軽視されているような印象を受けます。本当の意味で空間に希望を抱いている設計者は現代にどのくらいいるのでしょうか。

『ニーマイヤー104歳の最終講義 空想・建築・格差社会』において、

建築における美とは諸々の機能を満たした後に、余裕があったらととのえる、というようなものではありません。「美しい」ということは、建築の最初の機能であるべきです。

と述べられています。名建築と呼ばれ、何百年もそこに建っている建築には共通して、空間の本質的な美しさを持っている、その美しさは万人の感情を揺さぶり、何かを訴え続けてきました。現代の建築にはそれが見られないように思います。

さらにニーマイヤーは、

機能や使い勝手がよいというだけでは不十分なのだ。建築においては、美もまた、積極的な有用性を持つ、役に立つ要素である。美は、贅沢が許されるときにだけ付け足されるようなものではない。遠い昔に建てられたある教会、ある建物が、現在ではまったく違った用途で使われている。機能や使い勝手を変化させながら、今日まで現役の建築として生き続けている。このようなことがなぜ起こるのか。それは、ある時代の機能が永遠に残ることはなくても、美と、その美に込められた詩が、時間を超えて永遠に生き続けるからである。

と建築における美しさの重要性について述べています。物事の価値観が多様化していく現代では、普遍的な価値になりうる美しさは、捨ててはならない建築に対する最後の希望なのではないかと思います。

M2 滝内裕大