2017.10.24

Bazaar方式の都市計画をめざして

以下は、2017年9月26日、清水産業・情報プラザにて開催された静岡商工会議所産学官交流会での講演原稿です。画像はクリックすれば別画面にて拡大して見られます。

 

「Bazaar方式の都市計画をめざして」

静岡理工科大学 理工学部 建築学科

佐藤健司

いままで私が関わった仕事の中で、外部の多数の建築家の参加を得てプロジェクトを遂行した事例として、岐阜県の北方団地の再生プロジェクトがあげられる。単体の建築物を設計するような事例では、外部の専門家の参画を得るとしても構造や設備などの専門分野に限られる場合が一般的である。しかし、プロジェクトが大きくなり、複数の棟が建てられるような計画になると、マスタープランなるものがまず策定され、個々の建物が複数の建築家にゆだねられるようになるのは自然の成り行きである。郊外型の新設大学のキャンパス・プランの策定や一団地の集合住宅の計画などがその事例になり得るだろう。

Bond University Master Plan, Daryl Jackson, 1984

オーストラリアで初の私立大学として建設されたボンド大学のマスタープランはメルボルンの建築家Daryl Jacksonがコンペで勝ち取ったもので、その中の管理棟・人文科学棟・図書館の設計が磯崎新アトリエに委託された。大学の他の建物はDaryl Jacksonの事務所が担当した。磯崎アトリエからゴールドコーストに派遣された私は、地元の協力設計事務所の設計スタッフと協働して建物の設計を進めた。そこで私は、ごく当たり前のことではあるが、ひとつの建物やプロジェクトが完成するまでには、極めて多くの人々の介在がある、ということを再確認した。マスター・プランナー、個々の建物の設計者、地元の協力設計事務所(local associates)、その他もろもろのコンサルタント(構造・設備・積算・外構・照明・色彩・・・)、もちろん事業者側からは熱意溢れるプロジェクト・マネジャー、そして建設関係の人々、コンストラクション・マネジャーやそれぞれの業種の人々といった構成だった。しかしながら、その設計体制はマスター・プランナーを頂点としてピラミッド型に人員が配置された構造と言えなくもない。樹状の階層構造とも言い換えられる。この図式は設計に関わる人と人との関係性だけでなく、作られる環境そのものにも当てはまる。マスタープランがあり、個々の建物があり、個々の部屋があるというように。そこには一連の階層構造がみえる。つまり、あるプロジェクトがあるとき、その設計を遂行する人的な組織のあり方は、目標とする物理的な計画、あるいは構築される環境と相関関係にあるのではないか。

Bond University, aerial view

Bond University, Administration/Humanities/Library Building, Arata Isozaki and Associates, 1987

1994年、岐阜県より委託をうけて始まった県営北方住宅のプロジェクトは、戦後および高度成長期に建てられた計1074戸の建て替え事業であった。都市計画道路を挟んで南側には2階建て、簡易耐火建築物の長屋が建ち並んでいた。北側には鉄筋コンクリート造の4階建て共同住宅が建ち並んでいた。日本のいたるところに見られる団地の風景が、そこには広がっていた。私たちが参加する前に、県のほうで建て替えの基本構想が策定されていた。おおまかには、1戸当たり40数m2であった床面積を倍増して80数m2に、住戸総数はほぼ同じ1050戸という建設プログラムであった。同じ敷地で、容積はほぼ倍にする計画であった。

Gifu Kitagata Housing, before re-construction

Gifu Kitagaka Housing, before re-construction

この計画を始めるに当たって、私は磯崎さんから1冊の本を手渡された。ドイツのヴァイセンホフ・ジードルンクの建設プロセスを詳細に記録した本だった。ヴァイセンホフ・ジードルンクは1927年にシュトゥットガルト近郊の住宅地開発として建設された。バウハウスに主導されたドイツ工作連盟の住宅展示場として建設された。コルビュジェやグロピウス、ブルーノ・タウト、ハンス・シャロウンといった錚々たる顔ぶれの建築家が総勢17名参加して、戸建て住宅や共同住宅を設計した。彼らの設計した住宅は驚くほど似通った特徴を持っていた。いずれも箱形の住宅で、ブルーノ・タウト以外の住宅は白く塗られていた。単純なファサード、フラット・ルーフ、水平連窓、室内におけるオープンなプラン、高度なプレファブリケーション。インターナショナル・スタイルの先駆的な事例として名高い。

Weissenhof Siedlung, 1927

Mykonos island

私はヴァイセンホフ・ジードルンクが近代建築の歴史において記念碑的な性格をもつプロジェクトであったことは知っていたが、実は、その計画をシュトゥットガルト市とともに企画・立案し、マスタープランを策定し、土地の区画割りを行い、建築家を選定し、予算を割り振り、工事監理を行ったのが、もうひとりの近代建築の巨匠ミース・ファン・デア・ローエであったことは、この本を読むまで知らなかった。その本の中で、ミース・ファン・デア・ローエがマスター・プランナー兼コーディネーターとしてプロジェクトを成し遂げてゆく、そのあたかもフィクサーのような活躍ぶりが克明に記述されている。ミースはギリシャのエーゲ海に浮かぶ島々のように、小高い丘を壇状のテラスとして造成し、白い箱状の住宅を配置してゆくことをイメージしたようだ。そして、それぞれの箱の具体的な設計をコルビュジェやグロピウスたちに任せたわけだ。 岐阜北方の南ブロック430戸の設計を始めたとき、磯崎さんはヴァイセンホフ・ジードルンクの歴史書を私に読ませることによって、設計の方針を伝えたのだった。

Weissenhof Siedlung, aerial view

Weissenhof Siedlung, apartments designed by Le Corbusier, 1927

こうして、南ブロックの設計には当時、新進気鋭の4名の女性建築家の参加を得ることになった。日本から妹島和世と高橋晶子、ロンドンからクリスティン・ホーリー、ニューヨークからエリザベス・ディラーが招待され、設計チームが形作られた。後にランドスケープ・アーキテクトのマーサ・シュワルツが設計チームに加わることになる。最初に私たちは全員一堂に会して設計打ち合わせをおこなった。東西約300m、南北約150m、3.8haの土地に平均80m2の住戸を430戸計画する。どのような集合住宅団地が計画され得るか。私たちは全く白紙の状態で打ち合わせに臨んだ。ヒューマン・スケールの低層住居で敷地を埋めるか、いや高層の住棟を並べてコルビュジェの言うように太陽と緑を確保するか、敷地を細分化して多数の小さな住棟の集まりとするか、まるまる一つの都市とも呼べるような巨大な集住体を作るか、等々、喧々諤々の議論がたたかわされた。結果的には、敷地を大きく4分割し、4人がそれぞれ約100戸の高層の住棟(地上10階建て)を設計するという方針で落ち着いた。4棟の高層住宅は中央に大きく中庭を形成する形で配置されることになる。

Gifu Kitagata Housing, South Block,
construction completed in 2000

Gifu Kitagata Housing, South Block, looking down on the central courtyard

その後、しばらくして4人の設計案が私たちの手許に送られてきた。私たちは4人の案を全体の敷地図の上に配置し、コンピュータを回して各住戸の日照時間をチェックし、配置を調整し、その結果を4人にフィードバックし、ということを繰り返した。その上で、敷地内の道路や駐車場などインフラの設計は私たちの仕事だった。このプロセスを通じて私たちが試みたのはマスタープラン不在で計画を遂行することは可能か、という問いであった。まず、先験的に4人の設計した建物が存在する。敷地割りや道路その他のインフラストラクチャーは、後からついてくる。これは通常の計画プロセスとは真逆である。普通は、まず道路が作られ、街区が形成され、その街区のうえに建物が構想される。この計画プロセスこそがマスタープランの必然性を生み出す。

Gifu Kitagata Housing, overall site plan

Piranesi, Campo Marzio, 1762

18世紀の版画家ピラネージの古代ローマの都市図カンポ・マルツィオが思い出される。カンポ・マルツィオはピラネージが想像力豊かに古代ローマの一部を再現した図だ。そこには幾何学的な形状をした建物がランダムに寄せ集められて配置されている。カオス的でもある。そこには道路らしい道路は存在しない。建物と建物の隙間があるだけである。この都市図ではわからないが、実際のローマは起伏に富んでいる。そのため、建物を整然と配置することは困難であったろう。このカオスともいえるローマを、広場・オベリスク・噴水という都市的要素を使って視覚的に構造化したのはローマ教皇シクスタスV世の功績といわれている。はじめに建物を寄せ集める。秩序、すなわち(マスター)プランは、後から与えられる。岐阜では、そのような作り方が模索されたわけだ。だからマスタープランという概念は存在せず、それに代わるものはコーディネーションだった。

Sejima Building

Christine Hawley Building (left) and Akiko Takahashi Building (right)

Elizabeth Diller Building

Christine Hawley Building

こうして南ブロック430戸は2000年春に竣工した。南ブロック自体も2段階に分けて建設された。実施設計は4人の建築家が、それぞれ地元の協力設計事務所と協働で作業を進めた。日本人の2人は本来、地元の設計事務所と協働する必要はなかったろう。しかし、私たちが外国で仕事をする場合のやり方で4人全員に仕事を進めてもらった。こうして完成した南ブロックは多様性に満ちている。クリスティン・ホーリィはロンドンの縦割りのタウンハウスを積み上げて10階建てにしたプランだ。すべての住戸がメゾネット(duplex)ないし3層メゾネット(triplex)だ。80m2で3層メゾネットは階段に床面積が取られるため、リビングや寝室が極端にせまくなってしまう。それでも、そこに住むことになった少年は「階段のある家に住めるようになって嬉しい」と語ったという。家らしい家とは何かを示唆する逸話である。エリザベス・ディラーの住棟は階段のない家、つまりフラットで構成される。共用廊下の突き当りに各戸の玄関扉が正対して置かれるというアイデアから出発しているため、隣り合う住戸が雁行して配置され、全体としては大きな弧を描いている。内部は可動間仕切りでしきられ、間仕切りを取り払えば、ロフト風の一室空間が得られる。妹島さん、高橋さんの提案する住戸も、間仕切りの可変性による空間の多様な使い方が可能になることがプラン上の特徴だった。こうして、従来のnLDKと称される画一的なプランとは一線を画す集合住宅団地が完成した。これは一人の建築家が全体から細部にいたるまですべて取り仕切るような建物の作り方では、到底なし得ないような多様性が獲得されたことを物語っている。

North Block, schematic design, 2003

North Block, schematic design, 2003

南ブロックの完成に引き続いて、北ブロック620戸の設計に着手した。620戸を1つのブロックとして計画するのはあまりに大きいので、大きく3つのブロックに分割している。10階建ての高層・板状の住棟を、大きな中庭をもつ形式で配置するという南ブロックの在り方が踏襲される。敷地南西のコーナーには、外形1辺約100mの正方形、高さ10階建て、30mのブロックが配置される。内部に1辺約80mの中庭を持つので、上から見ると「ロの字」型で枡のような形をしている。他の2つのブロックは、このロの字型のブロックの東側と北東側に展開する。やはり板状の住棟を中庭を取り囲むような形で並べているが、中庭の1辺が解放され、上から見ると「コの字」型となっている。こちらは、高さは6階建て、24mである。全体としては住棟が、折れ曲がりながら連続し蛇のような形をしている。このようにして、検討用のラフなボリューム・プランが作られた。これは、あくまで議論のたたき台であって、この後、どのようにデザインを展開してゆくべきか。

North Block, South Elevation, 21 architects were invited for the design of one single building

私たちは、南ブロックでの実践をさらに拡張したいと考えた。南ブロックでは4名の建築家に住棟の設計を依頼し、私たちは全体調整を行った。4名はそれぞれ、100戸程度の住戸の設計を行い、それぞれ独立した4棟の住棟として完成している。北ブロックでは参加建築家の数をさらに増やしたいと考えた。多数の参加者による協働作業で1つの建物が作り出される。そのような設計体制を組むことが構想された。気鋭の若手建築家、地元で活躍している設計事務所、アジア近隣諸国からの建築家、これらの建築家に参加を依頼し、総勢21名の設計チームが編成された。アジアからの建築家として、北京の張永和、ソウルの承孝相、香港のゲイリー・チャン、シンガポールのケイ・ニー・タンの4名が招待された。北ブロック全体では620戸の計画となるので、一人当たり約30戸の住戸設計となる。北ブロック620戸は一度に建設されるのではなく、段階を踏んで建設される。南ブロックも2段階に分けて建設された。第一段階として、1辺100m角の正方形、高さ30mのロの字型のブロックを21人の設計者による住戸で埋め尽くすことが検討された。南ブロックと異なり、一つの建物を多数の建築家で分担することになる。それが可能になるための共通の基盤(インフラストラクチャー)が必要になる。それぞれの建築家が活躍するための舞台を作らなければならない。私たちは自らをインフラ設計チームと位置付けた。インフラは大別すると、構造のインフラ、エネルギー系のインフラ、そして交通のインフラとなる。磯崎アトリエ、佐々木睦郎構造設計事務所、地元の岬設計事務所とでインフラ設計チームが編成された。

A study model for the “mega-frame”

構造のフレームは平面的には7.5m x 9mスパンの柱、高さ方向は2層ないし3層ごとに設置される梁で構成される。通常の構造と比較して、水平方向・鉛直方向とも、ひと回り大きなスパンに構造体が集約される。メガ・フレームと呼ばれていた。梁の鉛直方向のスパンは6mないし9mとなる。中間階の床は2次的な構造体として鉄骨造で作られる。南ブロックの10階建ての建物では、構造の平面的なスパンは概ね3m内外であったし、梁は階高である2.8mごとに設置されていた。クリスティン・ホーリィ、エリザベス・ディラー、2人の構造設計は構造設計集団SDGの渡辺邦夫氏に依頼した。外国から来た2人が驚かないように、10階建てといえども、なるべく壁構造に近い形で設計してほしいとお願いしたことを覚えている。それに対し、渡辺氏は見事な解答を与えてくれた。妹島和世さんの建物は水平方向・鉛直方向ともに2.8mスパンの壁と床とを、ボイドスラブを使って実現したもので、梁は存在しない。高橋晶子さんの建物は桁行方向のみ梁が存在する一方向ラーメン構造である。これら南ブロックの建物に較べると、北ブロックのメガ・フレームは、一回りスパンが大きく、その分、内部プランの自由度は増している。佐々木睦郎氏の提案で、このメガ・フレームはプレストレスを入れたプレキャスト・コンクリート部材で作られた。PCaPC工法と言う。基礎には免震構造も導入された。佐々木先生は木村俊彦先生に師事していた。私が磯崎アトリエで最初に担当した建物は富山県利賀村の小さなライブラリー・スタジオであったが、その時、木村先生から木造というものの考え方を教えていただいた。その後、実現はしなかったが、上野駅の超高層ビルの計画においても木村先生から多くのことを学んだ。木村先生が前川國男事務所に在籍しておられたとき手掛けられたのが晴海の高層アパートである。晴海の高層アパートは前川國男が設計した日本の集合住宅の歴史における記念碑的な作品である。そして、その構造は鉄筋コンクリート造のメガ・フレームである。木村先生はその後も多数の建築でプレキャスト・コンクリートを使った構造を探求されている。この一連の流れの中で、佐々木先生は岐阜でメガ・フレームを提案されたのではないかと、私は推測している。

Harumi High-rise Apartment, Kunio Maekawa and Toshihiko Kimura, 1958

Jr Ueno Railway Station Project, Arata Isozaki and Associates, 1988-95, structural engineer: Toshihiko Kimura

エネルギー系のインフラは岬建築事務所と磯崎アトリエで受け持った。通常の集合住宅の計画において、浴室やトイレ、キッチンなど水周りの位置は、各階同じ位置で固定される。とりわけ、経済効率が優先される民間の開発計画では、そうならざるを得ない。しかし、多数の建築家が思い思いに住戸を設計するのであるから、各階で水周りの位置は自由に変えられなければならない。それを可能にするため、縦シャフトはすべてフレームの本体の外側に追い出し、スラブ上に十分な高さの横引きの配管のスペースをとる計画とした。そのために、階高も南ブロックのときよりも20cm高い3.0mに設定している。共用廊下はメガ・フレーム本体からはキャンティレバーの持ち出しで設置されるが、共用廊下と本体との間には一定の幅の隙間が設けられている。その隙間には設備の縦シャフトが設置される。立面図でみると、地上から上に伸びてゆく縦シャフトは、上階に行くにつれて枝分かれし、あたかも壁面にからみつく蔦のような様相を示している。

Public circulations

交通のインフラは人と車の流れを制御する。敷地内の自動車路と駐車場の配置、歩行者路のネットワーク、広場の計画、垂直動線(エレベータ、階段)の配置、コミュニティ意識を醸成することを意図して設けられる上層階での小規模な空中テラス、これらが主要な計画項目である。このようにして3次元のインフラが形作られた。その中に多数の建築家の住戸が思い思いにはめ込まれる。戸建て住宅における「土地」が人為的に立体的な構造として作られたと考えてもよいだろう。

pre-stressed precast concrete structure

seismic isolators

この作り方は、集合住宅の設計手法として唱えられることの多いスケルトン・インフィルという考え方をさらに強化したものと考えることもできる。スケルトンとは骨組みのことを指し、その骨組みの耐久化・長寿命化が追求される。いっぽう、インフィルとは詰め物のことで、具体的には外装・内装・浴室やキッチンなどの設備を指す。そしてインフィルに関しては20~30年程度のスパンで材料の交換やリフォームの容易性が図られる。ここで使われたプレストレスをいれたプレキャスト・コンクリート部材の身近な例は鉄道線路の枕木である。列車の運行による日々の繰り返し応力にも耐えるし、PC鋼棒でコンクリートを締め上げておくわけだから、ひび割れが起こりにくい。鉄筋コンクリートの耐久性にとってクラック防止が最大の眼目である。通常の鉄筋コンクリートの耐久年限である60年を大きく超えて、PCaPC工法による骨組みは200年もつのではないかといわれている。この人工土地の上でのインフィルの更新は単に部材のメンテナンスだけにとどまらず、全面的なインフィルのリフォーム、すなわち建て替えが可能である。固定的な部分はインフラのみであるので、自由にプランが変更できる。その時はインフィル設計者の置き換えも自由である。20~30年おきにインフィルのリフォームがおこるとすれば、人工土地は6~10回のサイクルで再利用が可能ということになる。

North Block, stage-1 construction

North Block, stage-1 construction

この3次元のインフラの設計を進める過程で、私が参考にしたのはコンピュータのオペレーティング・システムの作られ方だった。岐阜の計画は1994年の南ブロックの設計開始から2006年の北ブロックI期工事の竣工まで12年間継続されたが、その期間は1995年のWindows95のリリースに象徴されるごとく、インターネットの利用が爆発的に発展した時期に一致する。私は建築や都市のネットワークの作られ方について興味をもっていたので、コンピュータのネットワークであるインターネットに興味をもった。そしてインターネットを支える技術としてUnixというオペレーティング・システムが存在することを知った。その頃、コンピュータの2000年問題というのがあった。私は、勉強用に自分のパソコンの1台にFreeBSDというUnixをインストールしていた。そして、そのオペレーティング・システムの設計者の2000年問題にたいする対処の仕方を記した文書をWebで読んだことがある。その文書の末尾には署名とともにArchitectと記されていた。オペレーティング・システムの設計者は自らをアーキテクト(建築家)と呼んでいることを知った。オペレーティング・システムを作るというアーキテクトの在り方があり得るわけだ。もの作りという一点では、建物の設計もコンピュータの設計も共通する部分があるだろう。岐阜での私たちの仕事はコーディネーションから始めてインフラの設計に移行したわけであるが、それはまさにオペレーティング・システムを作るということだったのではないかと思えてきた。参加者がその上で活躍する舞台を設計するという意味において。

10th floor plan

Interior designed by Seung

Interior of an unit designed by Kazuhiro Kojima

オペレーティング・システムに関する資料を読み漁っている間に、LinuxというもうひとつのUnixシステムの存在を知った。Linuxを理解する手がかりを与えてくれたのは、Eric Raymondが著した”A brief history of Hackerdom(ハッカー界小史)”と”The Cathedral and the Bazaar(伽藍とバザール)”(いずれも山形浩生訳)である。前者ではUnixオペレーティング・システムの歴史について簡潔にまとめられている。後者ではRaymond自身がfetchmailというメール・ソフトを作った時の経験をもとにして、Linuxというオペレーティング・システムの作られ方を考察している。Linuxというのは、その一番コアになる部分(kernelと呼ばれている)はLinus Torvaldsというフィンランドのプログラマーが作り出したものである。リーヌスが作ったカーネルに、世界中から集められた無数の小さなプログラムが付加される。それらの複合体がオペレーティング・システムとなって、インターネットを通して配布される。そのオペレーティング・システムを土台にして、例えば、ウェブ・サーバーやメール・サーバーが構築される。世界に分散するそれらのコンピュータはインターネット・サイトと呼ばれる。コンピュータ・プログラムというのは小さな誤り(バグ)を含んでいたり、クラッカーに攻撃されたりする。そのため、リリース後は不断のメンテナンスが必要になる。逆に言えば、完成品の存在しない製品だと言える。製品のリリースと修正版の配布がインターネットを介してグローバルに展開する。例えば、以下のような状況が想定される。アメリカ東海岸のプログラマーが小さなプログラムをリリースする。すると西海岸のプログラマーが攻撃をしかける。それに対し、ハワイのプログラマーが修正版を提供する。すると中国のクラッカーがセキュリティ・ホールを見つける。インド人がそれを治す・・・。24時間、地球が回転している。これの繰り返しでプログラムが強靭で洗練されたものになってゆく。一般のユーザーがバグを発見することもある。これが可能なのは、プログラムのソースコードがすべて公開されているからだ。このように、全世界のプログラマーや、時にはユーザーも参加して、1つのプログラムが作られる。これをレイモンドはバザール方式のプログラム開発と呼ぶ。ここではリーヌスが提供するのはカーネルだけで、あとは全世界のプログラマーやユーザーをも巻き込んで自律的にシステムに磨きがかけられてゆく。「早めのリリース、しょっちゅうリリース」「任せられるものはなんでも任す」「すべてオープン」レイモンドがリーヌスの開発手法を端的に形容した言葉だ。これに比較されるのが、組織の中で中央集権的に開発される手法で、レイモンドはそれを伽藍方式とよぶ。ひとつひとつの部材が乱れなく積み上げられて大聖堂が構築されるというイメージである。レイモンドは直接言及していないが、マイクロソフト社のWindowsが伽藍方式で作られていることが念頭にある。そして、いまやバザール方式のプログラム開発が優位であるのは明らかであろう。建築や都市の設計で、カーネル(核)という言葉はインフラという言葉に置き換えられるだろう。インフラは「すべてオープン」で、その上に築かれるべきインフィルは「任せられるものはなんでも任す」ことが可能であるし大事である。この先に見えてくるのは、Linuxのように「ユーザーは大事な財産」、ユーザーを共同設計者と考える指向であろうか。レイモンドの言うように、「いろいろな作業やアプローチが渦を巻き、大きく騒がしいバザールに似ている」のである。

Gifu Kitagata Housing, conceptual form

“Hakka” in Fujian Province, China

ここで、インフラストラクチャーという言葉に関して、別の角度から考察してみよう。それは、集合住宅という建築型(ビルディング・タイプ)に関わる。北ブロックの設計の初期の段階で、一辺100mの正方形プラン、高さ30m、ロの字型のブロック、という「型」を、検討用のボリューム・スタディとはいえ、先験的に出発点にしてしまっている。南ブロックの時にはそれほど意識していなかったが、高層・板状の建物でリングを形成して中庭をもつ形式は集合住宅として普遍的な建築型であると言えるだろう。共通の(唯一の)中庭を持つ、というのは周囲の住戸に住む人々にとって、コミュニティの象徴となることだろう。同時に光や緑に満ち溢れた環境を作り出すために有効である。北ブロックでは正方形のプランから出発したが、円形のリングであればこの求心性や象徴性はさらに強まる。そのような事例のひとつが中国福建省の「客家」の住宅である。もっとも、この円形は外敵から集落を守るために発達したもので、外周はかなり閉鎖的で城壁を連想させる。「都市」に相当する中国語は「城市」で、つまり都市=城であったことを示している。

“Zion” from the motion picture “Matrix Reloaded”

“Panopticon” by Jeremy Bentham, 1791

もうひとつの円形城市の例が、SF映画「マトリックス」で描かれている未来都市Zionにみられる。Zionは、映像では内部が煙で霞んでいるので分かりにくいが、推測するに巨大な円筒形をしている。円筒の中心には、これまた巨大なエレベータ・シャフトがあって、各階から様々な方向へ水平のブリッジが伸びている。円筒形の内側の壁は無数のセルになっていて、その一つ一つが住居だ。未来の集合住宅はまるでハチの巣が円筒の内側に貼り付けられたかのようだ。ジェレミー・ベンサムのパノプティコン(一望監視装置)を想起させるイメージだ。パノプティコンは監獄の設計図であり、円筒形の内側のセルは囚人の独房で、それを中央の1点から監視できるという仕組みである。マトリックスのZionはパノプティコンのヴィジュアルな中心を、交通システムの中心、つまりエレベータに置き換えた形式である。映画マトリックスでは、全宇宙を覆い、かつ全宇宙をコントロールする、電脳のシステムらしきものが存在する。それをマトリックスと呼んでいる。そして、それを作ったのは神なのか、あるいは建築家なのか、という深遠な問いが映画に通底するテーマなのである。そして円筒形の都市は人類がマトリックスの(システムの)攻撃から身を守るための城なのである。現実の集合住宅の設計は、この外界から身を守る城や砦のイメージと、コミュニティという淡い一体感のイメージとの微妙なバランスの上に成立している。だからこそ、バザール的な作り方が模索されなければならないのだ。

ところで、マトリックスという言葉の語源はマザー(母)だという。マトリックスという言葉から連想されるのは、バウハウスの影響を受けた建築史家、シビル・モホリ・ナギの都市文化史Matrix of Men(邦訳「都市と人間の歴史」)である。この本は古今東西の様々な都市のパターンをその文化的な背景とともに分析したものである。題名を直訳すれば、「人類の母体」とでもなろうか。つまり都市こそが人類や文明の母体なのである、と主張しているかのようである。母体は胎盤や基盤とも言い換えられるから、マトリックスとインフラストラクチャーはほとんど同じ意味である。ということは、岐阜北方の北ブロックで、私たちはマトリックスを設計したとも言えるのであろうか。メガ・フレームによる3次元の立体格子は数学におけるマトリックス(行列)をも連想させる。集合住宅の、あるいは都市の設計は、マトリックスの設計あるいはカーネルの設計である。インフラ設計チームはマトリックス(母体)を設計し、多数の参加建築家がその舞台の上で活躍する。このようなバザール方式の開発手法は、集合住宅という枠組みを超えて、地域の計画や都市の計画に拡がってゆく。

Le Corbusier, Unite d’Habitation, Marseille, cross section

Le Corbusier, Unite d’Habitation, Marseille, 1945-52

Le Corbusier, Unite d’Habitation, Marseille, “Pilotis”

1つの建物に「都市」を組み込む。これは集合住宅の計画の歴史で常に考えられてきたことである。典型的な例をコルビュジェのユニテ・ダビタシオンに見ることができる。18階建て、板状のブロックで、全337戸、最大1600人が居住する集合住宅である。断面は、メゾネットの住戸をたがい違いに組み合わせて形成されていて、とても特徴的である。屋上には保育園や体育館、プールがあり、中間の7・8階には店舗や郵便局がある。建物全体が1つの都市であるかのように設計されている。真に生き生きとした環境を作るためには、住戸だけでなく様々な施設が混在していなければならない。残念ながら、これは私たちが岐阜では、完全には、なし得なかったことである。北ブロックには生涯学習センターという公共施設が併設され、南ブロックには集会所が建てられたが、商業施設を建設プログラムに含めることはできなかった。住民は車で数ブロック離れた郊外型のショッピング・センターに買い出しに行かねばならない。集合住宅を計画するということは都市を計画するということだ。住宅以外のさまざまな都市機能が包含されてこそ、真に生き生きとした環境が形成される。最近の事例では、デンマークの建築家ビャルケ・インゲルスのグループが設計した「8ハウス」(2012)が興味深い。

Bjarke Ingels Group (BIG), 8 House, 2012

Bjarke Ingels Group (BIG), 8 House, 2012

Bjarke Ingels Group (BIG), 8 House, 2012

岐阜北方住宅の北ブロックは単純な「ロの字型」のプランであったが、この8ハウスはその名の通り「8の字型」をしている。中庭を10階建て、高層・板状の住棟で取り囲む形式は同じである。この8ハウスはコペンハーゲンの郊外に位置している。住居セクターが61,000m2、商業施設とオフィスが10,000m2の複合建築である。民間資本の開発であることから用途の複合化が、公営住宅の開発と比較した場合、むしろ容易であったのかもしれない。設計者の説明によれば、建物の中に道路もあり広場もありで、施設全体が一つの都市として機能することが図られている。オフィスも建設プログラムに取り込むことで職住近接が図られている。インゲルス氏にインタビューしたサイエンス・ライターの吉成真由美氏はBIGのデザインを次のように評している。

「自分のデザインを主張するというよりも、環境への配慮や使う人たちの意見をすべて取り入れることに腐心し、そのデザイン上のチャレンジに向き合うことで、これまでになかったような新しいアイデアを生んでいこうとするオープンでインクルーシブ(包含する、許容する、招き入れる)な態度が、時代精神によく合っているのかもしれない。」

オープンでインクルーシブ。この姿勢こそが、これからの集合住宅の設計、ひいては地区や都市の計画に最も求められるのではないだろうか。それは、まさしくLinuxオペレーティング・システムにおけるバザール方式が指向するベクトルでもある。任せられるものは何でも任す姿勢が求められる。そして、それが可能になるようなマトリックス(基盤)を設計することが建築家の新たな仕事となる。